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素盞雄神社(すさのおじんじゃ)

 

東京都荒川区南千住6-60-1
素盞雄大神(スサノオ大神) 天王祭(てんのうさい)6月3日

飛鳥大神(アスカ大神) 飛鳥祭(あすかさい)9月15日

氏子町域 小塚原町、通新町、三之輪村、町屋村、三河島村

     南千住(汐入、白鬚地区を除く)町屋(江川堀以南)荒川全域 

     台東区三ノ輪 東日暮里の一部(二の坪、正庭)

     西日暮里の一部(子の神など)

 

ざっくりとです
細部は違います

江戸時代までは千住牛頭天王、飛鳥権現社と呼ばれていました。明治に入り廃仏毀釈によって神仏分離され素盞雄神社に改称されました

現代では神社(神道)とお寺(仏教)は分かれていますが、明治時代以前は一緒に祀られていました。スサノオ大神(神道)は仏教の神様になぞらえると牛頭天王となるので、お祭りは天王祭、神社もお天王様と呼ばれます。61町にも及ぶ区域の総鎮守で、旧郷社。荒川区内では最大の氏子町域

天王祭

6月2日に宵宮祭、3日に例大祭が行われる。本祭は天文10年(1541年)以来三年に一度行われ、例祭の次の土日に本社神輿渡御が行われる。神輿は重量千貫(3,750kg)、四間半(8.1m)の長柄二本(二天棒)

陰祭は本祭以外の年に行われ、町内神輿やこども神輿が繰り出される。町内神輿も二天棒の地域があり、複数町会による連合渡御が行われる

古くから疫病除けで知られている。「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢れ・災い・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様です。牛頭天王(スサノオ)を祀る京都の祇園祭と同様に、夏に流行する疫病を振り祓うためのお祭りと言われます。

6月2日に宵宮、6月3日に例大祭で、六十一ヶ町総代、氏子崇敬者の参列のもと、厳粛な祭儀が執り行われます。参列者は半紙で包んだ胡瓜を奉納します。これは胡瓜を輪切りにした模様が御祭神の御紋に見え恐れ多いために、その年の初物の胡瓜を先ず御神前に奉納してから自分たちが食する、という伝統を継承したものです。

 

室町時代の天文10(1541)年に大洪水があり、その際に流れてきた神輿を町屋村の杢衛門という人が得て、素盞雄神社に奉納したという故事により、町屋の人が宮出しをするという習わしになっています。町屋村の杢衛門さんは町屋の旧家佐久間家の先祖とも言われています。

 

土曜日の7時に素盞雄神社を出たお神輿は各町域を巡り、18時に原稲荷到着し一晩を明かします。翌日曜日には8時に原稲荷を出て各町内を巡りコツ通りから19時に宮入します。

普通のお神輿は担ぎ棒が井桁に組んでありますが、素盞雄神社の神輿は二天棒と呼ばれ、二本の棒があるのみなので左右に激しく降ることが可能なのです。素盞雄神社の町域は道が狭いので、狭い道でも神輿を進めていけるように二天棒になったという説もあります。またスサノオが荒ぶる神ということで神輿を左右に揺らしてそれを再現しているのではないかと思われます。素盞雄神社の特徴は左右に振る神輿振りの激しさが群を抜いていて他よりも激しいのです。本社神輿の千貫神輿を左右に振る様は他には見られません。その勇壮な様は地域の誇りとして受け継がれています。

 

 

三河島には山車人形は「壱番 熊坂長範(くまさかちょうはん)」「弐番 素盞雄命(すさのおのみこと)」「参番 稲田姫(いなだひめ)」の三体があったそうですが、素盞雄命は戦災で失われてしまいました。明治以降の市街地化で電線が張り巡らされるなど、大きな山車巡行はできなくなってしまい、神輿が主流となっていきます。天王祭では勇壮な神輿と壮麗な山車がお祭りを盛り上げていきます。江戸末期に作られた山車人形もこの時に見ることができると思います。熊坂長範は源義経に討たれた大盗賊で、義賊として歌舞伎などに取り上げられた人物です。荒川中央町会に山車が伝わっています。稲田姫はヤマタノオロチの生贄にされそうになっていた美少女で、スサノオがヤマタノオロチを退治し稲田姫を妻として娶り、多くの子宝に恵まれ幸せに暮らしたと伝わっています。荒川文化会・荒川宮地町会・荒川四丁目西仲睦会・大西町会の氏子中により、天王祭において毎年町内お神酒所に飾られています。また本祭りでは境内の神楽殿に飾られます。
(素盞雄神社HPより転載)

天降諏訪面

除疫の神宝、千住天王飛鳥権現時代の御霊代と考えられ、天文十年大雨の折に諏訪の地より得た木彫の面で、悪疫流行のときには氏子町内の除疫を祈願する『諏訪面巡行』が行われていました。また、天降とは雨降りの意味を持ち農耕の神を表していました。


蘇民将来子孫也(そみんしょうらい しそんなり)

 

勇壮な神輿振りを支える長柄四間半(8.1m)の御本社大神輿二天棒。その棒先でひときわ光を放つ金具に刻まれた言葉「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり)」。ふりかかる悪疫災厄から御祭神スサノオノミコトにお護りいただく唱え言葉です。

遠い遠い神代の昔、スサノオノミコトが遥か遠くの南の海に妻問いにでかけたときのことです。陽はすでにとっぷりと暮れ、旅に疲れ果てたスサノオノミコトは蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで貸しませんでしたが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしました。そして歳月がたち・・・。再びその地を訪れたスサノオノミコトは兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行りましたが、不思議なことに茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまいました。それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、茅の輪を腰につけ疫病から免れるようになったということです。「蘇民将来子孫也(私は蘇民将来の子孫です)」。宮神輿の担ぎ手も、そして御神輿のお出ましを待つ大勢の氏子崇敬者も、御祭神・素盞雄大神に御加護をいただく蘇民将来の遠い遠い子孫です。

 

飛鳥大神の別名を事代主といい、事代主は中国、インド由来の神様えびす様と同一とされました。事代主が国譲りの使者を迎えたときに釣りをしていたことから、漁業の神でもあったえびすさんと結びつきました。えびすさんが大鯛を小脇に抱え釣竿を持っているのは、国譲り神話における事代主が由来となっているとも言われています。9月15日の飛鳥祭では湯立神事が行われる


 

 

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